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第23回哲学カフェ参加募集 テーマ:「芸術」とは?

○日時:11月26日(土)13:00~14:00 ○場所:南海高野線堺東駅周辺のカフェ ○申込:11月25日(金)20:00までに、主催者まで連絡。 ※1 メールで参加表明の後、当日、待ち合わせ場所にお越しください。 ※2 メールは、「投稿者にメールで問い合わせ」からお願いします。 ○集合:11月26日(土)12:45、南海高野線堺東駅改札前(北野田方面側) ※1北野田方面の改札は、改札内に551の蓬莱とビアードパパの売店が、改札を出て直ぐの所に、ノムラクリーニングの窓口とアンスリーというコンビニがあります。 ※2天下茶屋方面の改札は、改札内には何もなく、改札を出て直ぐの所に、三井住友銀行のATMと高島屋の入口があります。天下茶屋方面で降りた場合、そのまま高島屋に入り、道なりに真っすぐ進み、もう一つの出口から出ると、左手に北野田方面の改札が見えます。 ○目印:緑の本(河野哲也「ゼロからはじめる哲学対話」) ○費用:参加費無料。ただし、カフェでの飲食代は自己負担でお願いします。 〇備考:蔓延防止措置や緊急事態宣言等が発令された場合は、オンライン開催に変更となります。 ○テーマ:「『芸術』とは?」 ○参加条件 1 哲学に興味のあること。(専門知識や学習歴は不問) 2 「対話を通した探求」という方法論に同意すること。 3 特定の立場を正統と見なしたり、他者に強制したりしないこと。 ○ルール 1 自分の意見は、分かりやすく、簡潔に発言する。 2 他人の意見は、きちんと聞いてから、質問や意見をする。 3 対話を聞くだけの参加も認め、発言は強制しない。 ○お願い 1 会計時の混乱を避けるため、飲食代支払い用の小銭をご用意ください。(450~600円程度) 2 テーマについて、自分なりに考えを整理しておいてください。 3 遅刻や欠席する場合は、メールで早めにご連絡ください。

第22回哲学カフェ活動報告 テーマ:「遊び」とは?

○日時:2022年10月15日(土)13:00~14:00 ○場所:「Cafe伊太利庵堺東店」 ○参加者 淡野(40代男性) Mさん(20代男性) Tさん(30代男性) ウルフさん(50代男性) Fさん(70代男性) ○テーマ:「遊び」とは? ●「遊び」を巡る議論 ・古代において、「遊び」が直接のテーマになることは稀でしたが、労働から解放された自由な活動こそが哲学の基盤だということは共有されていました。実際、中世のスコラ哲学の語源は、古代ギリシア語の余暇を意味する「スコレー」です。ちなみに、このスコレーが学校や学派を意味する「スクール」の語源です。 ・近代になって、ドイツ詩人フリードリヒ・フォン・シラーが理性と感性を結合するものとして「遊び」を論じて以降、哲学を含む人文学で「遊び」がテーマとして扱われるようになりました。 ・既に古典となっているホイジンガの「ホモ・ルーデンス」、カイヨワの「遊びと人間」等が有名なので、この辺りの議論を参照枠とするのがやりやすいかもしれません。 ・では、皆さんは「遊び」について、どのように論じてみたいでしょうか? ●「仕事」と「遊び」の対比 ・私は「遊び」について考えるなら、「仕事」と対比してみるのが良いと思います。「仕事」は「金を稼ぐためにやるもの」で、「遊び」は「利益なしにやるもの」みたいな対比です。 ・そういう対比を言うならば、私は「仕事」は「誰かにやらされるもの」で、「遊び」は「自分がしたいからするもの」だと思います。 ・「報酬の有無」や「強制性⇔自発性」という風にもまとめられそうですね。他に何かありませんか? ・「仕事」であっても、自分で好きにできる範囲があったり、自分の得意なことをやるのであったりすれば、それなりに面白いというか楽しくなるので、「遊び」に近くなると思います。 ・「裁量の範囲」や「能力発揮の機会」なんかが関係してそうですね。それでは、挙げられた内容を参考に、幾つかの論点を整理しましょう。 ●「目的」と「手段」 ・今までの流れからすると、「遊び」が成立するには幾つか条件があると言えそうです。 ・例えば、「報酬の有無」や「強制性⇔自発性」ということから考えると、何かの手段としてではなく、「遊びそのものを目的とする」という「自己目的性」が重要な条件になっていそうですね。 ・...