第12回哲学カフェ活動報告 テーマ:「食べる」とは?

○日時:2021年10月16日(土)13:00~14:00

○場所:「Cafe伊太利庵堺東店」

○参加者
淡野(40代男性)

Tさん(30代男性)

Tさん(50代男性)

ウルフさん(50代男性)

○テーマ:「食べる」とは?

●「食べる」を巡る議論

・哲学においては、「食物倫理」という形で、主に「食料生産」や「食料分配」に関する議論が様々になされてきた。皆さんが扱ってみたいテーマはどういうものでしょうか?

・「何を食べるか」という切り口で、食品と文化や気質の違いなんかが扱ってみたいです。

・アイヌのような狩猟採集民の文化やインドの「不殺生」に代表されるような文化等が参考になると思います。

・私は「食べる」というテーマの本質は、「生きるために他の命を殺さなくてはならない」という基本構造があると考えています。そこについて話したいです。

●「食料生産」と「他者危害原理」

・「自分が苦痛を与えられる」と想像した場合、誰でもそんなのは嫌だし、認められないと考えるのではないでしょうか。

・「他者に不必要な苦痛を与えてはならない」という原則は、誰もが理解できると思う。問題は、その他者をどこまでとするかの線引きになるでしょう。

・私は「苦痛を感じることができる」というのが、その「他者」の範囲を決める条件だと考えます。実際に、菜食主義者の人たちが肉食をしないのは、それが理由ですから。

・「苦痛を感じる」ことで線引きをするのは分からなくもないですが、苦痛を感じないなら殺しても良いというのは、何か誤魔化されているような気もします。

・私は「仲間か、そうでないか」が、その条件になると考えています。勿論、理想として、あらゆる生命を尊重したいという理念は理解できますが、無限の資源でもない限り、そんなことは実行不可能だと考えています。

●思考実験と生物工学

・「苦痛を感じる」ことが条件なら、例えば、培養肉のように苦痛を感じないなら、肉食をしても良いことになるでしょうか? また、遺伝子操作をして動物が知性を獲得して我々の社会の構成員として認められたら、仲間と認められるでしょうか?

・私は両方の問いに「はい」と答えます。培養肉が経済的にも安価で、美味ならば、少しずつ畜産を減らしていくのは可能だし、人間と意思疎通可能で協力できる存在であれば、知性を獲得した動物であれ人工知能であれ、仲間と認めるべきかと。

・私はそこまで思い切るのは難しいです。理屈は理解できますが、心情的に納得できないと感じます。

・私はそういう思考実験も興味深いとは思いますが、余り建設的ではないと考えます。肉食に関する技術的な問題を論じるなら、畜産による環境負荷や穀物の大量消費等について話したいです。

●「食料分配」と「格差原理」

・では、「食料分配」という観点から、畜産の問題を考えてみましょう。

・そもそも、私は軽々しく「食料分配」等と言いたくはありません。現在も飢餓に苦しんでいる人々は実際に居るのですから。

・その問題意識は分からなくもないですが、「飢餓に苦しんでいる人々が実際に居る」ことが、それだけで肉食を禁止したり、穀物を分け与えたりを正当化するとは言えないと思います。現在の資本主義経済や国家間関係を考慮すれば、各国での法制化や国際合意等が必要になる訳ですし。

・肉食や畜産が色々と問題を孕んでいて、「飢餓に苦しむ人々が居る」以上、そういう人々を救いたいという理念は理解できます。しかし、普通に生活している者の実感として、美味しいもの食べたいという気持ちは否定できないし、余裕のあるお金を改善のための活動に寄付すること位しか実際にできないのではないでしょうか。

・私自身も菜食主義程ではないですが、実際に肉食の機会を減らしています。自然な傾向として肉を食べたくなるとよく言われますが、肉食の倫理的問題を学習することで忌避感が強くなれば、実際に肉に対する欲求は減りますし、食べても美味しくなくなるのは本当かと。

●欲求と感覚と認識

・厳格なイスラム教徒として成長すると、豚肉を見ても忌避感が強くて、食べたいとも美味しそうとも感じなくなるという話は聞いたことがあります。菜食主義者が学習によってそれと同じようになることは実際にありそうです。ただ、自発的にやるのは良いでしょうが、そういう教育を義務付けるというのは、別の問題が出てきそうです。

・理念が正しければ、強制しても良いというのはやはり乱暴だと思う。例えば、培養肉の技術が進歩して、培養肉の方が畜産加工肉よりも安価で美味しいから、畜産加工肉を食べることが自然に減るというような展開の方が望ましいかと。

・私は逆に、環境負荷や飢餓問題について、普通の人の切迫感が足りないと感じます。コロナのように自分が死ぬ、あるいは自分を介して感染した人が死ぬ位の危機感を感じれば、肉食や畜産の問題はもっと技術も制度も進んでいたと考えています。

・疫病のような分かりやすくて想像しやすい問題と、環境負荷や飢餓等のように複雑な要因と関係が絡む問題を同列に論じるのは難しいと感じます。因果関係の連鎖や複数要因の相互関係のような問題を思考したり、想像したりするのは、一定の素養や訓練が必要で、万人に要求できるとは思えないので。

○今後の方針

・次回開催予定:11月20日(土)13:00~14:00

・次回テーマ:「働く」とは?

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