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第17回哲学カフェ活動報告 テーマ:「責任」とは?

○日時:2022年4月23日(土)13:00~14:00 ○場所:「Cafe伊太利庵堺東店」 ○参加者 淡野(40代男性) Mさん(20代男性) Tさん(30代男性) Kさん(30代女性) ウルフさん(50代男性) ○テーマ:「責任」とは? ●「責任」を巡る議論 ・「責任」については色々と切り口がありますが、私の考えでは、伝統的な考え方は「債務」を範例とするものが多いようです。誰かが行ったある行為について、その結果や影響をある種の「債務」のようなものとして「責任」を把握する考え方です。「契約」のように、対等な当事者同士の関係を前提とするものです。 ・それに対して、「責任倫理」で有名なハンス・ヨナスに代表される考え方は「保護」を範例とするものです。「親が子供を保護すること」を理念型として、現代の人類に、自然環境や後続世代への保護者としての振る舞いを要請する考え方です。こちらは、対等ではなく、強者による弱者保護という不均衡な関係を前提とするものです。 ・では、皆さんはどういう切り口で「責任」を扱ってみたいでしょうか? ●「責任」の主体と範囲 ・私は「責任」というのは、カントが言うような、個人の自由に基づくものと考えます。 ・私が「責任」という言葉で気になるのは、個人のものというよりは、「戦争責任」に象徴されるような国家や共同体の成員への責任の問題ですね。直接の当事者だけでなく、当時生まれていなかった子孫にどこまでその責任が問えるのかのような。 ・今回のロシアのウクライナ侵攻のように、誰が何処まで責任を担うのかという問題が典型例です。例えば、事を起こした政治指導者だけでなく、そのような政治指導者が選ばれたことについて、国民に何処まで責任を問えるのかという。 ・個々人の責任が何処までの範囲で、国家や組織の成員の責任が何処までで、誰がどれだけ担うのかというのは、単純に決められないと思います。 ・簡単な問題ではないですが、難しいというだけでは何も解決しないでしょう。いずれにせよ、何らかの具体的な責任の範囲を線引きする必要はあると思います。 ・現状の国際法に基づいて、国家主権を一つの責任主体と認めるなら、国家とその成員で責任範囲を線引きするのが現実的な対応だと思います。とは言え、隣国が主張するように、国際条約を超えた道義的責任とかは非現実的でし...